業界人インタビュー
【ENDROLL】「人生を変えた30秒」東映シーエム株式会社 酒井伸介さん ~前編~NEW
この業界、とにかく面白い人が多い。
そんな気づきから、映画・エンタメ業界で働く人とその成りに焦点を当てたインタビュー企画「ENDROLL エンドロール ~業界人に聞いてみた」。
業界の最前線で働く方にインタビューを行い、現在業界で働いている人はもちろんのこと、この業界を目指している人にも刺激を与えていきたいと思う!
今回は、TVCM、WEB・SNS動画といった広告映像を中心に、映画、MV、PR映像など幅広いコンテンツを企画・制作する東映シーエム株式会社にて、常務取締役を務められている酒井伸介さんにインタビュー!
前編では、酒井さんのプロデューサーや常務取締役としての業務、CM業界に入った経緯、影響を受けた一本のCMなどを伺った。
憧れのCMプランナーとの出会い
島根から上京された酒井さんには、CM業界に入るまでに一人の日本を代表するCMプランナーとの出会いがあったという。
KIQ: 東映シーエムさんはどのような会社なのでしょうか。
酒井: 名前の通り親会社が「東映」で、そのグループ会社の中のひとつです。他のグループ会社ほど東映作品に絡んではいなくて、広告の映像をメインで制作しています。もともとは「東映アニメーション」が「東映動画」だった時代に、CM部門ができあがり、それが独立して「東映シーエム」になりました。広告・エンターテインメント映像を中心に作っている制作会社です。
KIQ: 決して東映の作品だけを担当されているわけではないんですね。
酒井: そうなんです。一般企業さんの広告を中心に映像制作をしています。ちょうど2024年の10月で55周年を迎えました。
KIQ: 創立55周年を記念してMISATO ANDO(元BiSH・リンリン)さんが名刺のデザインを新たに手がけられたんですよね。その経緯は?
酒井: 55周年をきっかけに、なにか新しいことをやってみようと思ったのがひとつでした。名刺って、「はじめまして」と最初に人とつながるもので、すべてのはじまりじゃないですか。コロナで人に対面することができなかった時期に、改めて人と会うことの価値と大切さを実感したこともあり、直接手渡したとき、その一瞬が、楽しくてワクワクしてもらえるものになればいいな、そんな名刺があると素敵だなって思ったんです。それで、今回、デザインは、アーティストのMISATO ANDOさんに依頼させていただきました。
KIQ: なぜMISATO ANDOさんだったんですか。
酒井: 以前、BiSHの皆さんとお仕事させていただいたという経緯もあるんですが、独自の世界観で、衣装やグッズのデザイン、絵画など、観る人を魅了する素敵な作品を創られてて。今回の趣旨にぴったりではないかと思いました。「東映の三角マークと波をご自身の今の感覚で自由に表現してください」とお願いしました。
MISATO ANDOさんが手がけた名刺デザイン
KIQ: 東映と言えば、あの荒々しい日本海の波のイメージとともに日本中で認知されていますもんね。
酒井: 実は、荒々しい千葉(犬吠岬 )の波なんです(笑)。
KIQ: ええっ! 初めて知りました(笑)! ところで、現在は常務取締役という役職に就かれていますが、主にどういった業務を担当されていらっしゃるんですか。
酒井: 今は映像のプロデュースもしながら、東映シーエムがどういった道に進んで何を行っていくべきかを探っていく、会社の経営に関する仕事も行っています。映像プロデュース半分、そういった会社の今後の方向性を作っていく作業が半分です。それまでは、ずっと企画と映像プロデュースをしてました。
KIQ: どのように東映シーエムに入られたのでしょうか。
酒井: 今51歳なんですが、 僕が島根から上京して大学に入るときはテレビCM業界が結構賑わっていた時代で。当時、岡康道さんというCMプランナーがヒット作を連発していました。広告界の誰もが知るレジェンドなんですけど。テレビ CMがすごく華やかで、そこに憧れて、当時、販売されていた「広告批評」という雑誌が主催する専門学校「広告学校」に通い始め、岡さんのクラスに入りました。そこで岡さんをはじめ、様々なトップクリエイターの方の講義を受けました。
KIQ: 広告の学校に入られたのはどのタイミングで?
酒井: 大学3年生のときでした。それで就職するときに、映像を作りたいんだったら広告代理店より制作会社の方がいいと思って、東映シーエムに入りました。
KIQ: そこからずっと東映シーエムに在籍されていらっしゃるんですか。
酒井: 新卒から入って、もう30年ぐらいずっとですね。
KIQ: 大学進学するときは、映像関係を特に志望してたわけではなかったんですか。
酒井: なかったですね。全然映像は関係なく、普通の英文科でした。
衝撃を受けたCMの「嘘だよ」の一言
KIQ: ずっとCMのプロデューサーを志望されていたんですか。
酒井: CMの映像業界って、大体、最初はプロダクションマネージャーという職種に就くんですよ。プロデューサーは予算管理も含め、全体のプロデュースを行いますが、プロダクションマネージャーは、現場の中心でスタッフをまとめたり、実作業を動かす、仕事の真ん中にいるようなイメージです。僕が入社した頃は、大体5年から10年ぐらいプロダクションマネージャーをやって、それからプロデューサー、あるいはディレクターになるという感じでしたね。
KIQ: その分かれ道でプロデューサーの方に?
酒井: プロダクションマネージャーになると、基本はプロデューサーになるんですけど、うちの場合は、ディレクター職もあったので、希望して試験を通ればそっちの道に行くこともできました。僕自身は、たまたま運がいいのか悪いのかわかりませんが、プロダクションマネージャーを丸4年やってプロデューサーになりました。
KIQ: 4年でプロデューサーになる何かきっかけは具体的にあったりしたんですか。
酒井: 当時、社内でとても活躍していた先輩のプロデューサーが、「プロデューサーになって一緒にやろう」って言って引き上げてくれたんです。今考えると、とてもラッキーでした。先輩には、とても感謝しています。
KIQ: 岡さんと先輩が恩師なんですね。プロダクションマネージャーのときからプロデューサーをやりたいという意思表示をされていたんですか。
酒井: いえ、その前に引き上げられたので、びっくりした感じです。結果、言われて初めて、なってもいいかもと思ったんですよね。やっていくうちに面白い仕事だなと。
KIQ: 華やかなCMの世界に魅了されて歩まれてきたことを伺ってきましたが、もともと何か憧れたCMがあったんですか。
酒井: 岡さんの作品で、JRの金沢に旅行に行きましょうっていうCMですね。金沢の城下町で女の子がカメラの方に男の人の手を引っ張りながら歩いてるんですが、「この手はね、一生離れないんだよ」と言って、その後ちょっとして「嘘だよ」って言うんですよ!そこで来生たかおの「夢より遠くへ」って曲が流れるんですが、その音楽の入るタイミングもまた秀逸で。そのCMに心撃ち抜かれて…! 岡さんに「このCM好きなんです!」って言ったら、「そうか」と言ってました(笑)。
KIQ: 大学生の頃にテレビから流れるそのCMを見たことがきっかけになったんですね。
酒井: そうなんです。「嘘だよ」って最後の一言がすごくて、こんな短い言葉で印象が全く変わるし、CMってすごいなって思いました。
後編では、CMというものになぜ心奪われるのか、そして昔と今で求められるCMの違いなどにも迫っていく。
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