プロが見たこの映画
【ジジイの時事エンタメ斬り!vol.20】 呪
名前は「呪い」だといわれます。
陰陽師・安倍晴明じゃないですが、そういうこともあると思えたりします。
私の知人で「立花」さんという、いい男がおりまして、これは「タチハナ」と読む。濁らない。でも、大抵の人ははじめてこの字を見たとき「タチバナ」と読んでしまいます。
そうすると物心ついた時から「タチハナ」だった彼はどうするか?
「タチハナだから、僕は。」といちいち訂正しながら生きてきたのでしょうか?それとも面倒くさくなって「タチバナ」でも「おう」と答えていたのでしょうか?いずれにせよ彼の脳は、名前に関して人一倍多くの時間を費やしたのは間違いないでしょう。
「出会ったばかりなのに、ちゃんと名前を呼んでくれる。几帳面な人だ。」
「未だに間違えてる。いい加減な人なのかも。。」
「最初から正しく呼んでくれる人は10%、説明すると改める人が60%、それでも度々間違ってる人が30%。うーん、人が人を理解しようとする気持ちなんて、こんなもんなのか」
「「タチバナ」ももはや僕だな。そういう風にしよう、ああ、気持ちが楽になった。。」
彼は自分自身の名前を通じて世の中を見、人を伺い、自分というものを感じるわけです。そうやって育ってきた。「鈴木」だったら決して考えない、違う人生を歩み、違う人生観を得るわけです。
事ほど左様に、「勝利」という名前の男の子は必ず人に勝つことを意識しながら育つでしょうし、「志村」という名字の女の子は志村けんに恨みすら抱いてるはずです。
昔、ロッキード事件裁判の最中に「角栄」という名前の子どもが改名を認められたというニュースが報じられていました。もちろん田中角栄が被告だったからですが、その“子ども角栄”が社会や世間に対して抱いた感情は只ならぬものだったであろうと思います。
「角栄」は俺であって、俺じゃない。。。
これを呪いと言わずしてなんという。
わら人形とか、式神とか、護摩壇とか、気づかないうちに相手をおとしめる専門技術のことはわかりませんが、「おまえは勝利だ!」は親の呪いですよね。もちろん幸福を願ってのことですが、結果どう出るかはわからない。勝利はエゴイストになるかもしれない。
冗談ですが、要は名前は気づかないうちに人を縛り、名前で違う人生を歩むということなのです。
宣伝の仕事はまさにこれだと思っています。タイトルやコピーがその商品に呪いをかけ、触れる人々の認識を創っていく、現代の安倍晴明といっていいかもしれない。果たして「共感シアター」という名前はどうでしょうか?皆さんが期待と幸せの呪いにかかってほしいと思います。
P.S.
私なんか下の名前は生涯誰一人として初対面で正しく読んだ人はいないわけで、これは相当ひねくれてもしょうがないわけです笑
たんす屋(共感シアタースタッフ)
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